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小学生の時は、父についてって

道端のイタドリをかじってた。

「美味しいよね~」って言って

みるけど、内心は、酸っぱくて

「オエー」とか思ってた。

それでも、つつじの蜜を吸うの

と同じでなんか嬉しいんよね。

タダで、いっぱい得した気分に

なるからなんかな。

おねおねにて。

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正義を持たない料理の作法

2024.09.29.Sun

おねおねの料理はお肉とか魚が使われていないですよね。

ちかさん自身も菜食なんですか?

一時期は、まったくお肉も魚も食べない時期があったけど、

友達が出してくれたお肉をよけたりしていた自分が

すごく嫌になったの。

それから、出してくれたものは全部食べるようになった。

その方が気持ちいいんよね。

無駄遣いしたくなくて、できるだけ最後まで

使い切りたい、食べきりたいっていう気持ちが大きいのかも。

そうだったんですね。

 

年齢を重ねた今、改めて考えると、そういう気持ちの方が、

これから先の健康よりも大事な気がしていて。

でもやっぱり、食後とか明日、明後日の身体の

コンディションは整えていたいから、

結局はシンプルで体が楽な方を選んでるんだけど。


千加さんが目指している美味しさって何ですか?

 

なんだろう、「究極のハンバーグ」みたいなものの

対極にあると思う。

テレビの料理番組であったりするやん、

「これぞ世界一美味しい」みたいな。

私が作りたいのは、そこにあるもので作る料理なんよね。

いっぱいもらったものとか、

無駄になりそうなものをなんとかしたい。

やっぱその時の旬のもので、傷がついてたり、

不格好なものって、アホほどもらったりするやん。

そういうのをどうやって美味しく食べようか、

って考えるのが好き。

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誰か1人、なにかひとつが絶対的に正しくて特別っていうのが

あんまり好きじゃないんやと思う。

なんにでも良いところと悪いところがあって、

それを勝手にミックスしてる感じ。

 

店内のところどころに置かれている本とか、

映画のパンフレットの雑多な感じから伝わってきます。

 

それは、料理だけじゃなくて、映画を観たり、

ニュースを見たりするときも似ていて。

映画の「福田村事件」でもあったみたいに、

悪を排除しようとする正義が憎悪を生んで、

虐殺事件に至ってしまうみたいなことってあるよね。

100:0で「反対」「これが正しい」って言えるほど

私は強くないから、「勧善懲悪」みたいな流れの中でも

立ち止まって、考え続けていきたい気持ちがすごくある。

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おねおねからと徒歩5分の場所には、1955年から続く老舗映画館の「あたご劇場」がある。店内に貼られたポスターたちは、この劇場への入り口になっていたりする。

善と悪って明確に分けられないものなんですよね。

 

そうだよね。私は今まで、出会ったことのない新しい味とか、

その背景にある文化に触れた時の感動が幸せっていう

原動力で生きてきたから、これからも

もう少し流されていたいっていう気持ちがある。

そのためには、余白を作っていたいなと、

これからの人生も、おねおねを考えるときにも思うんです。

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​イタドリを愉しむための余白

​今や高知の郷土料理となったイタドリには、

江戸時代から百姓が日常的に食べてきた歴史がある。

貧しい生活の中で明日を食い繋ぐための

保存食だったイタドリ。

それを、「ただの雑草である」とか

「イタドリは特別美味しいわけでもない」と

切り取ってしまうのは、少し安直なのかもしれない。

社会通念として定義される「美味しい」だって、

時代と共に揺れ続けてきたし、

これからも変容していくだろう。

千加さんの語りを聞きながら、そんなことを思った。「正義と悪」「健康と不健康」といった対立軸の

あいだで漂っているように見えた千加さん。

未知なるものへの余白を残す彼女の生き方に

出会えことは、これからの探訪の助けになりそうだ。

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​(終わり)

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