イタドリと出会ったあとに、
大阪帰ってみて、よう見たら
イタドリが生えてた。
枚方駅前に生えてたんよ。
「これイタドリやん」って。
まあ、雑草よね(笑)
高知県民以外は雑草(笑)
排気ガスかぶってそうやし、
よう食べへんけど(笑)
藁屋にて。
市場や農家から仕入れる季節の野菜を使った
定食が人気の藁屋(わらや)にて。
「イタドリと夏野菜のグリーンカレー」を囲みながら、
藁屋的イタドリの料理法や、レシピ、
高知の食文化を支える曜日市などを覗いてみました。
Vo.2 では、イタドリにまつわる思い出をきっかけに、
料理人に至るまでの道のり
郷土料理としてのイタドリ論まで深堀りします。
明日、作る料理がちょっとだけ楽しくなりますように。
#2 ただの雑草が郷土料理になる時
探訪員 イタドリとの初めての思い出ってありますか?
隼也 出会いは高知に来てからやね。料理を食べに行った時
に、小鉢にあって「これなに?」が始まりかな。
探訪員 そもそもご出身は?
隼也 大阪。
探訪員 初めて高知に来たのが何歳の時ですか?
隼也 2005年かな。23歳とか、24歳の時。
人材派遣会社に就職して、面接する人やってたんだけど
リーマンショックのあおりをうけ、リストラにあった。
で、自分が派遣切りされて(笑)
それでも就職しなおしたけど、また事務員みたいな
仕事やったね。
探訪員 その時は料理してたんですか?
隼也 その時、料理は暇つぶし。ストレス解消だった。
僕、酒弱いんやけど、牛のスネを赤ワイン煮にして
その湯気を吸って酔っぱらって寝てたんだ(笑)
麻衣 もともと私が、「いずれは飲食店やりたい」って
思ってたんよね。
ほんで、高知市の違う場所で、前の店舗を
2015年にオープンするに至ったんよ。
隼也 その時から決まってるね、あんた(麻衣さん)が
「これやろう」って言ったものを、
俺が実現していくっていう役割分担みたいなもの。
探訪員 絶妙なバランスなんですね。それは今も?
麻衣 今もそう。メニューにしても、
イベント組むにしても、大体が私の思い付きで
ポンポン投げかけるいくつかを拾って実現する流れ
よね。グリーンカレーも私が考えました(笑)
探訪員 これもそうだったんだ、、(笑)
隼也 そういえば、こっちでイタドリと出会ったあとに、
大阪帰ってみて、よう見たらイタドリが生えてた。
大阪の枚方駅前に生えてたんよ。
「これイタドリやん」って。まあ、雑草よね。(笑)
高知県民以外は雑草(笑)
排気ガスかぶってそうやし、よう食べへんけど(笑)
探訪員 高知県民が変わってるんですね。
隼也 イギリスで外来種として増えすぎて
迷惑がられてる
らしいね。
それを食べてしまおうとした高知の人って(笑)
よっぽど食べるもんなかったのか、
食に貪欲なのか、、。
麻衣 平野部が少ないやろ?
畑もその分少なかったやろうし、
山の食材って結構重宝されるよね。
隼也 食への執着をすごい感じるんよ。
例えば「餅奪い(もちばい)」ってあるやん。
麻衣 行ったことある?
探訪員 行ったことないです。何ですか?
麻衣 いわゆる「餅投げ」なんやけど。
新築落成の時とか、新装開店の時とか、
船の進水式の時とかにやるんよ。
投げる方は「奪わす(ばわす)」って言って
それもすごいけど、奪うおばあらも凄いで。
スタンディングじゃないで、
膝ついて本当に地面這う(笑)
眼鏡をななめにずらして帰ってくる、
膝破れて帰ってくる。
餅よりズボンの方がお金かかってるやろ(笑)
隼也 食べるものを放り投げて、奪い合いをさせるって
いう文化がずっと残っているってすごいよね。
麻衣 娯楽もないからイベントやったんやろうね。
隼也 トウモロコシの時期には、「きび街道やー」言うて
みんなばーって群がるし、春には「タケノコやー!
初もんやー!わー!」っていくみたいな、夏には
「新子(ソウダガツオの幼魚)が出たー!わー!」
みたいな。まさにイタドリもそうよね。
「らしさ」について
大正時代の書き物にも頻繁に出るほど、
高知で長く食べられてきたイタドリ。
美味しいから好んで食べていたというよりも、
そうせざるを得なかった環境の中で、
高知の人々の舌に刻み込まれていったと想像する。
その土地の人が、望んでいたか否かに関わらず、
今やイタドリは、郷土料理という称号を得て、
「高知の春」の代名詞となっている。