二十代の頃は、もう僕の実家がサーフィン仲間のたまり場みたいになってたわけよ。イタドリが採れる春からサーフィンもシーズンインするから。ほんなら、イタドリを採ってきたおふくろが「あんたら居るやったらこれ一緒に剥いて」って言って。
SO-ANにて。
市場で仕入れる季節の野菜や自分で釣った魚などで作る定食が
人気のSO-AN(そうあん)にて。
「イタドリと天ぷらの卵とじ」を囲み、
店主・潔さんの記憶に残るイタドリにまつわる思い出や、
川とともにある暮らしと遊びについて聞いてきました。
Vol.3 では、
「SO-ANの大変だった時は?」という質問から
「なぜ便利な時代にあえて作るのか」という問いまで堀りします。
明日、作る料理がちょっとだけ楽しくなりますように。
イタドリと天ぷらの卵とじ / 料理は承認欲求を満たす手段だった / 料理人の必需品、美味しいを作る為の
2024.12.8.Sun
Vol.3 孤食の流儀
SIMPLE IS BEST?
― SO-ANは今年で何年目ですか?
今年で15年目になるね。
― 15年やってきてきつかった時期とか、
「俺もう食いっぱぐれそう」みたいな時期はないんですか?
おかしな話、それがないんだよね。
― ないんですか!?
そんなに驚かなくても、、(笑)
まぁ、ないね。なんでだろうね、、、、。
今月ちょっと暇だなと思ったら、魚でも釣りにいって、
400円の餌で3000円の魚が釣れたりする。
その魚で野菜とブツブツ交換できるでしょ。
その魚を料理したら、喜んで食べてくれてお金になる。
そんな感じで生きてるからかなあ。
― 原始的な商いの形、、!!
じゃあ、SO-ANは当初から繁盛してたんですね。
でも、儲からないよ。最初定食680円だったの。
(2024年12月現在は1000円)
― なんでその値段にしたんですか?
僕原価計算とかあんまりできないからさ、
定食680円なら最高だなと思ってやったんだよ。
初めの頃は、主夫をしながら営業してたから忙しかったね。
タイカレーで使う鶏を週に1回、自分で締めてたのよ。
もっともっと美味しいもんって追求しすぎちゃったら、
病気になったりして大変だったなあ。
お金で不安は消せるのか。
― すごい忍耐力というか、行動派の極みというか。
人生に不安を感じたりしなかったんですか?
ないねぇ。儲けてないしお金持ちでもないよ。
けど、食べるものは採ったり育てたりできる。
今は忙しくて育てられてないけど、その代わり、
市場に行ったら、行きつけの店があって、
ちゃんと僕を知ってる人から食べ物を買えるのが
すごい安心感につながるんだよね。
― 食べ物を買う人や場所に信頼がすごいあるんですね。
食べ物を僕のために作ってくれてるとか、
買わせてもらってる、これはもう命をもらってるんだよね。
生きるために生き物のエネルギーをもらってるわけで、
そこを人と人を交(か)わしていただいてる。
魚が釣れなくて、スーパーでいい魚を買ったりすると、
それはそれで嬉しいけど、大きな商売してる場所には、
店主が僕のために取ってくれるとか、置いてくれるとか、
そういうことがあんまりないでしょ?
それが不安の種になってたりするね、僕の場合は。
だから、食べ物のやり取りの場に情があるっていうのが、
市場の大好きなところだし、僕のエネルギーになってるんだよね。
― いい意味で重い!(笑)
スーパーとかコンビニって、情が入る隙なしに買える、
とても便利な場所ですよね。
逆に言えば、自分の命を預けている場所と、
いつその繋がりが途絶えても仕方がないというか。
命を預けるのが自分自身か市場のおんちゃんか、だけの違いよね。
基本は、「採る」から「食べる」まで自分でやりたいな。
― 実践こそが、遠回りをして安心感を作るんですね。
そうやって、イチから自分で「食べる」まで
たどり着いたご飯って、もう安心そのものなのかも。
孤食の流儀
― 潔さんにとって美味しいってなんですか?
食べたものも、その場の雰囲気とか時間も良かった、
一緒に食べてる人たちも面白いし楽しい、
これが全部重なったら「本当に美味しい!」になるんじゃないかな。
これ、美味しくない時は美味しくないのよ。
美味しいものでも、楽しくないと美味しく感じない
っていうのがあるよね。
― 私は、1人で食べる自炊でたまに思います。
作りながらふと「自分しか食べないのに、
自分のためになんでこんな時間かけてんだろう」って
我に返る時があるんです。とても虚しくなる。
けど美味しい?
― まあ、おいしいけど、、
自分のためになんでそんなに時間かけるかっていうのは、
それは次回、友達に食べさせたい、彼氏に食べさせたい、
お客さんに食べさせたいから。
僕の場合、どうやって作ったら美味しくなるかって
いうことを模索しながらずっと作ってるんだよね。
21世紀に呑まれそうなときは②
イタドリは、あらゆる食べ物の中で
コストパフォーマンスが最も期待できない部類に入る。
イタドリを採ってきて、剥いで、塩漬けして食べる。
私がその工程になかなか踏み切れないのは、
「なんでこんなに時間をかけてるんだろう」と
虚しくなるのが目に見えるからだと薄々気づいている。
SO-ANへの探訪をきっかけに見えてきたのは、
「美味しいもの」は買えるこの時代になぜ作るのか、
という問いに対する1つの答えでもある。
「採る」から「食べる」まで、
作る人と食べる人の、体温を感じる距離感。
そこに、私が漠然と感じる未来への不安や孤独感に
呑まれない為のヒントがあるのかもしれない。