
季節に急かされて作るお菓子 / 創作は妄想から始まる / 甘いだけがケーキじゃない
酸っぱくて美味しい失敗 / 無いなら作ればいい / 自分にしかできないことがある場所
25歳、味のない記憶 / 東京で出会った食にアツいベーカリー / お菓子屋がサトウキビを収穫する理由

Atelier
tsumugiにて。
イタドリご飯の折詰弁当を囲み、
弁当を美味しく食べるコツから
料理人の必需品まで、お話しを聞きました。
Vol.2では、暮らしの随所に刻まれたイタドリとの思い出から
店主・梢さんが折詰弁当を作るまで、
料理のぬくもりに包まれた記憶をたどります。
明日の「食べる」がちょっとだけ心地よい時間になりますように。
イタドリご飯の折詰弁当 / 料理人の相棒、美味しいを作る為の / 弁当に季節を見立てる
イタドリを採らずにはいられない理由 / しんどい日には温かさを食べて / なぜ、弁当か
なんの為の料理なのか / 美味しさのゴールから見えるもの / 同じことの繰り返しに使命を背負う
/ 料理が媒介するもの
2024.12.29.Sun
しんどい日には温かさを食べて
イタドリを採らずにはいられない理由
― イタドリの料理は、家でも作りますか?
イタドリの時期になると作るね。
祖母の田舎の山とか、実家の裏山にはたいてい生えているので、
バンバン採ってきて、皮をむいて塩漬けにしてます。
うちの冷凍庫にまだいっぱいある。
― 採ってるんですか!生粋の高知県民ですね。
皮剥いたりとか、採った後の処理が面倒くさいって
わかっているのにも関わらず、採ってしまうのよね。
もったいないって思うからかな、タダやし。
タダで食べれるものがその辺りにあって、
置いて帰るわけにもいかん、みたいな。
ー 作ってくれたイタドリご飯も家の味ですか?
小さい頃から家では、塩を振ってそのまま生で食べてました。
酸っぱくて、舌に来る山菜独特の渋みが、なんか好きで。

― みんなあの渋みを抜くために塩漬けするのに、、。
炒め煮は時々作ってくれたような気がするけど、
「家庭の味」というほどには食べてないかな。
両親が共働きで、おばあちゃんに面倒を見てもらいよったけど、
おばあちゃんが料理上手じゃなくて。(笑)
煮物とかもすごい味が濃くて、
「あんまりお料理のセンスないがかな」とか思いながら食べてた。
料理人って、家がご飯屋さんやりよったとか、
昔から一緒に台所に立っちょったとかいうのを
すごくよく聞くけど、それがほとんどなくって。
しんどい日には温かさを食べて
― じゃあ、何がきっかけで料理を生業にしようと思ったんですか?
もともと大学卒業後5年ほど、病院で管理栄養士として働きよったの。
決められた予算で献立を考えなければならないのやけど、
それが本当に低価格で。だけど、当時の管理栄養士って
すごく立場も低いからどうにもできなかったんよね。
もちろん、全ての病院がそうではないけれど。
その時は、「この価格で患者さんが美味しいって
思う食事を作るのは難しいよ」って思ってた。
それがすごくしんどくて、もどかしさを感じていた時期やね。
だけど、その時に通ってたDENっていうカフェがあってね。
そこのオーナーさんが本当に素敵で、
病院の帰りによく寄ってたんです。
― そこでは何を食べてたんですか?
お茶。何か食べるっていうよりも、そのあたたかい空間で、
店主と話をして、美味しいお茶を飲む。
もうそれだけで、満たされてたんだよね。
ランチタイムに行く時はよく食べてたけど、それがまた面白くて。
店主が作るフードメニューはチキンライスだけなのよ。
チキンライス1本でずっとやってる。それがすっごい美味しい。
― 辛いからこそ染みるもの、美味しいものってありますよね。
もちろんね、病院や会社で働く方々がいてくれて、
世の中が成り立っていく部分もあるき、大切なお仕事やと思う。
だけど、「しんどいな」って思った時に、
行けるお店がたくさんあればあるほど、、、なんて言うんですかね、
人は幸せに暮らせる、というか。
漠然と自分もそんな空間を作りたいと思って、病院を辞めたんです。

だけどその時、すぐにお店が出せるくらいの特技が
特別あるわけでもない。料理もそれなりにしかやってない、
病院で集団調理をちょっとやったぐらいで。
だから貯金を崩して一年間、調理師専門学校に。
これから先の自分の方向性を決めようと思って。
― そこで日本料理に目覚めたんですか?
そうそう。魚捌きに魅力を感じて。
魚を上手に捌くと、本当に無駄がなく綺麗なのよ。
やっぱり生きてるものなので、時間をかければかけるほど
状態が悪くなる。
同じ魚を捌いても、別物っていうくらい美しくて、しかも美味しい。
他の食材においてもそうなんやけど、
それを私は魚にとっても感じたというか。
最初は同じ一尾の魚やったのになと思って。
それで、魚料理が多い日本料理に惹かれて、
学校卒業後は板前修業の道に。
なぜ、弁当か
― 板前で修業を経たうえで、折詰弁当を選んだんですね。
レストランのスタイルではなく。
板前修業がちょうど3年経った時、父親がガンで亡くなって。
まだ日本料理の修行は足りてないけれど、
私のこの命がいつ終わるかだってわからんなと思って、
お店を開くために板前を辞めたんです。

そのあと少しして、今のお店の場所を借りられることになったの。
けれど、色々と事情があって、この場所で調理をするのが難しくて。
だから、自宅にある工房のキッチンで作ったお弁当を
ここで販売するスタイルにして始めたの。
― 行動力にすごいスピード感がありますね。
切迫感があったのかもしれんね、「何かやらないかん」っていう。
もう病院も辞めたし、 板前もやめたし、自分でやる以外ないって
いうところまで自分を追い詰めたのに、
場所がないっていう焦りがあったんだと思う。
― お弁当という形に凄いこだわりがあるのかと思っていたけれど、
流れに身を任せてたどり着いたんですね。
お弁当がどうしてもやりたくって、始めたというよりは、
ほかに術がなくて。
「どうしよう、じゃあお弁当しようかな」みたいな。
そんな感じで始めて、もうすぐ7年になるんやけど、、。

ー 「アトリエ」っていう名前もそういうバックグラウンドから
生まれたんですか。
元々は、ここはアトリエとして使われていたの。
しかも、フランス語で「アトリエ」って、
「創作の場所」っていう意味があって。
私の創作物はお料理やけど、そのジャンルの中でも、
お弁当って確立されてないのよね。
だから、「カフェ」でもなく「レストラン」でもない
「アトリエ」がしっくりきて。
― 「tsumugi」の由来は?
人と人、モノと人。時には、ばらばらになった自分の
こころも紡いでいけるような場所が作りたいと思ってつけたんです。
私が1番最初にね、DENに行った時に思ったような、
そんな場所を作れたらいいなと思ってます。