
季節に急かされて作るお菓子 / 創作は妄想から始まる / 甘いだけがケーキじゃない
酸っぱくて美味しい失敗 / 無いなら作ればいい / 自分にしかできないことがある場所
25歳、味のない記憶 / 東京で出会った食にアツいベーカリー / お菓子屋がサトウキビを収穫する理由
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錆と煤にて。
唯一無二の独創的な空間で食べる南インド料理が
人気の錆と煤にて。
イタドリとネパール山椒のサブジがのったミールスを囲み、
スパイスカレーにしたためる思いを聞いてきました。
Vol.2では、幼いころのイタドリの思い出から、
ものづくりをしたくて悶々としていた20代の記憶まで。
情熱だけで生きていた日々を振り返ります。
あの時の情熱は今もなお、
形を変えて錆と煤に漂っているのです。
明日の「食べる」がちょっとだけ
ワクワクするものになりますように。
本格スパイスカレー作りの相棒 / 味覚のすべてを載せる / 旨味がないものを美味しくする方法
お母さんの味はおばあちゃんの味 / ブレブレで不安定で、何かをしたい / 自分だけの人生を始める方法
スパイスカレーに撃ち落される / 定めたゴールに辻褄を合わせる / いつかの自分が後悔しないように
2025.3.16.Sun
自分だけの人生を始める方法
お母さんの味はおばあちゃんの味
― イタドリは昔から食べていましたか。
そうやね。小さい時は、親と山に採りに行ったり、
道ばたのイタドリを採ってそのまま食べてたよね。
その場で皮をむいて。
だから、小さい頃は、料理の材料っていうよりも、
生でかじるおやつっていう感覚だったかも。
「イタドリの炒めもの」は、お母さんとかおばあちゃんが作る
定番料理やったかな。
お母さんもおばあちゃんから作り方のコツを聞いて作ってた。
だから、食卓には出てたからよく食べてたけど、
そんなに注目したことなかったな。
― イタドリが食卓に出てきたらどんな気持ちでしたか?
…なんて言うんだろ…。
テンションが上がるも下がるもなく、淡々と食べてたな(笑)
「あ、うん。いつものね。」みたいな。
みりんと醤油の味付けでちょっと甘じょっぱかったから、
副菜としては美味しい位置づけだったけど。

― 小さい頃から料理はしてたんですか?
多分好きな方やったとは思う。
でも料理だけじゃなくて、絵を描いたり、工作したり、
何かを想像して作ることが、ずっと好きやったんよ。
自分の理想とするものを作る行為と、
「おいしい」って言ってもらえる喜び。
それが全部叶うから、料理が好きやったんやと思う。
って言いつつ、高校までしか高知にいなかったから、
自分で塩漬けのイタドリを料理した記憶ってそんなにないんよね。
― お母さんやおばあちゃんが料理してくれていたものは、
かずちゃんの料理にも受け継がれていますか?
そうやね。お母さんが持ってる料理本が、
今や私もドンピシャで興味があるものばかりでさ。
例えば、自然食研究家の東城百合子さんの本とか、酵素玄米の本とか。そういう料理で育った味覚は、親から受け継いだものかもしれないね。
ブレブレで不安定で、何かをしたい
― 高校を卒業してからは高知を出たんですね。
そうそう、京都に16年おった。
短大を出てから、着物屋に就職して働いていたんよ。
― カレーと全然違うんですね!どうして着物屋だったんですか?
就活中の私にはキラリと光るものを感られたんやろうね、
「着物を作りたい!」って思って。
― 小さいころから好きだった「ものづくり」に
かかわる仕事につけたんですね。

でも、実際の仕事は、事務職で商品管理をしてたから悶々としてた。
やっぱりさ、20代ってすごい悩む時期じゃない?
20代なんて、私もブレブレで、すごい不安定やったし。
でも、何かはやりたいわけよ。
絵を描いたり、何かを作ることが好きなのは分かってるから、
ずっと模索してる状態やったわけ。
毎日毎日悩んでは、1人で飲みに行ったり、
恋愛で悩んでみたり、泣いてみたり、
そういう時代ありますやんか(笑)
― あります(笑)
その頃に、旅で沖縄に行ったんよ。
大自然に囲まれて、悩んでた自分がちっぽけに思えたんやろうね、
「好きなことして生きていきなさい」みたいな
メッセージが降ってきて(笑)
自分だけの人生を始める方法
― それで、着物屋を辞めたんですか?
そう、3年目の時に「私、ものづくりやりたいです」って言って辞めた。
そのあとは、染め作家さんに弟子入りして、着物の染めをやってたね。
弟子だからお金にならないんやけどね。
先生に言っちゃったんよ、
「お金いらないんで、弟子入りさせてください」って。
今考えたら、すごいアホなんやけど。
かっこいい人生のドラマを作りたかったんやろうね。
情熱だけで生きてる、みたいな(笑)

ほんで、稼ぐために何かやらなしかたないから、
朝はパン屋で働いてた。
昼から染め工房で修業したり、路上で自分が描いた絵とか
勾玉(まがたま)のアクセサリーを売ったりして。
― トリプルワーク!? 路上では、夜に売ってたってことですか。
いや。夜に絵を描いたりアクセサリーを作って、
売るのは予定がない日の昼間に。
― 工房が休みの日に?
そう。だから、ずーーーーっと働いてた。
― 当時はどんな心境だったんですか?
「自分の人生を歩み始めたな」って感じ。
夢に向かって頑張ってる人に
「好きなことを仕事にするのは無理やで」
って言ってくるドリームキラーっていっぱいおるやん。
ちゃんと就職した方がいいとか、真面目な仕事をした方がいいとか。
でも、自分が決めたことを、周りに反対されながらも
振り切ってやるって、自分の人生を生きるための初めの一歩やんか。
「好きなことを一生懸命、人に迷惑かけずにやって、
真面目に頑張って生きたら、それで良くないですか!?」
「もう、なんか、やるしかない!」って思って。
それからはずっとワクワクしてたんよね。
― 自分を縛り付けてきた「常識」への反発が、かずちゃんの原動力だったんですね。
そうやね。
そう決めた23歳から自分の人生が始まったなって、今でも思う。