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​錆と煤にて。

唯一無二の独創的な空間で食べる南インド料理が

人気の錆と煤にて。

イタドリとネパール山椒のサブジがのったミールスを囲み、

イタドリにまつわる思い出を聞いてきました。

 

​Vol.3では、京都で初めてスパイスカレーを食べた時から、

錆と煤ができるまでの軌跡をたどります。

 

夢を実現するには、人に「難しい」と言われても、

ただただやり続けること。

​​​​明日の「食べる」がちょっとだけ楽しい時間になりますように。

本格スパイスカレー作りの相棒 / 味覚のすべてを載せる / 旨味がないものを美味しくする方法

お母さんの味はおばあちゃんの味 / ブレブレで不安定で、何かをしたい / 自分だけの人生を始める方法

スパイスカレーに撃ち落される / 定めたゴールに辻褄を合わせる / いつかの自分が後悔しないように

2025.3.23.Sun

定めたゴールに辻褄を合わせる

スパイスカレーに撃ち落とされる

― スパイスカレーとの出会いは?

 

京都生活の最後の方は、本格的な南インド料理屋で

働いていたんやけど、そこで初めて食べたミールスが

すごい衝撃だった。

 

― 初めてスパイスカレーに「宇宙」を感じたのもそのお店で?

 

そうそう。初めてマトンのカレーと、レモンライスっていう、

酸っぱいご飯を食べて。

マトンも旨いし、辛いし、酸っぱいし、

ブラックペッパーのホールの粒の感じも相まって、

「ゴーーーーーン!!」って感じ。

― 脳天直撃みたいな?

 

そうそう。もう震えた。

カレーに入ってるスパイスの刺激物質が、

体とか脳に入ってくるのが気持ちいいんやと思うね。

辛みとか刺激、香り、それらが全部、

味覚を通り越して直撃する感じがする。

「なんかもう私の人生、コレやな」みたいな衝撃やったから。

 

― そのお店では、どれぐらい働いていたんですか?

 

そこでは1年間ぐらいしか働いてないんよ。

カレーにはそこでハマったけど、作り方はほとんど独学で

京都のお店を去る時に、

「高知でカレーの店をやろうと思います」

って言ったんよ。そうしたら

「1年そこそこ働いてカレー屋をやるのは

なかなか難しいかもしれんよ。」

と言われたりしたね。

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定めたゴールに辻褄を合わせる

― それでもお店を始めるために​高知に帰ってきたんですね。

高知に戻ってからしばらくは、タイ料理屋さんで働いてたけど、

やっぱり南インド料理が食べたくて、家で沢山作ってたんよ。

家族で食べきれない分を友達におすそ分けしてたら、

そのうちケータリングを頼まれるようになって。

カフェをやっていた友人に、

「自分でお店をやったら?」って言われてね。

「めっちゃ簡単に言うやん!」って思ったけど、

「今の仕事を辞めるだけやで」って背中を押されて。

 

ついにその時が訪れたんよ。

実は、高知でお店をやろうと思った時、同時に妊娠していて。

子供の命も背負うわけやし、いま私が持ってるスキルを

お金に変えるためには、誰かに難しいって言われても、

やるしかなくなったわけよ。

だから、ただただ覚悟を決めたね。

ー 錆と煤が生まれた瞬間なんですね。

ちょうど、父が南国市にあるトタン古屋を管理していたから、

「あそこって使えるん?」って聞いたら

「うん、いいけど。なんで?」って言われて。

「ちょ、ちょっと住んでみようかな」とか

とぼけながら、当時のパートナーと改装を始めたんよね。

「店やります」って言ったら、心配するから(笑)

それが今の南国店なんよ。

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― 独特な世界観の中で南インド料理を食べられる「錆と煤」って、

唯一無二ですよね。

 

「もうこれで稼いでいくしかないから、

いわゆる一般的なカレーライスの金額ではやっていけない」

って思って、2000円のランチプレートを出すってまず決めたんよ。

高知の飲食店っていうと1000円位が相場やから、

すごい覚悟がいるやん。

うちのミールスは、もちろん食材の種類も沢山やし、

原価もかかってるからこそ、

2000円という金額って実は相応なんやけどね。

 

あとは、いわゆる『カレー』と呼ばれる食べ物に

2000円を出す人はまだ当時は少なかったと思うから、

取材の時は『南インド料理』って言い換えてもらったりしてた(笑)

そこにゴールを決めたからには、

飲食店ぽくないクリエイティブな異空間をイメージして

店内を作ったり、想像以上のクオリティーを目指して

ずっとカレーを作り続けてたんよ。

― 値段に辻褄を合わせていったんですね。ものすごい努力ですね。

 

周りの人を巻き込んでいるやん。だから、力が湧いたんかなと思う。

自分のためだけには、そんなに頑張れんけど。

いつかの自分が後悔しないように

出産3ヶ月でお店オープンしたけど、

アドレナリンに憑りつかれてたよ。

夢でカレーを作ってたもん。ハッて起きたら、両手広げてて。

「今のなんだっけ!?」って、瞬時にメモして、

Youtubeでインドのカレー作りの動画を調べてた。

 

娘がカレー嫌いなのはカレーに嫉妬してたからちゃうかなって思う。

子どもに母乳飲ませてる時も、

この後は玉ねぎ切って…みたいな感じで

ずっとカレーのこと考えてたから。

「ママはずっとカレーのことしか考えてない」

って思ってる可能性がある(笑)

 

― スパイスカレーへのハマり方が人並外れてますよね。

カレーが嫌いになったことはないんですか?

 

それが不思議なことになくて。それがあったら、続けてないと思う。

メニューも大幅に変わるわけでもなく、

同じようなものを作り続けてるんやけど。

とはいっても、副菜の種類が多いから、

全然同じものを作っているって感じがしないんよね。

スパイスの良い香りと、朝陽に照らされた食材の美しさに

毎回感動しながら作ってる。

 

あのままずっと着物屋で働いていても、

ずっと悶々としてただけやなと思う。

だから、自分でやりたいなって思ってるけど、

くすぶってる人がいたら、絶対やった方がいいって本当に心から思う。

苦労はあっても、自分で責任取れるし、

多分それ以上の喜びがあるから。

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おわり

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