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Atelier

tsumugiにて。

季節の野菜を使った折詰弁当が人気のAtelier tsumugiにて。

​イタドリご飯の折詰弁当を囲み、イタドリとの思い出や

料理のぬくもりに包まれた記憶お話しを聞いてきました。

 

Vol.3では、「なぜ料理をするのか」という問いから、

店主・梢さんが目指す美味しさのゴールまで探ります。​​​

​​​

​明日の「食べる」がちょっとだけ心地よい時間になりますように。

​イタドリご飯の折詰弁当 / 料理人の相棒、美味しいを作る為の / 弁当に季節を見立てる

イタドリを採らずにはいられない理由 / しんどい日には温かさを食べて / なぜ、弁当か​

​なんの為の料理なのか / 美味しさのゴールから見えるもの / 同じことの繰り返しに使命を背負う
/ 料理が媒介するもの

何のための料理なのか

2025.1.12.Sun

​同じことの繰り返しに使命を背負う

なんの為の料理なのか

― なんで人は料理をするんですかね。

 

食材採れたてのそのままが美味しいってよくわかっているのよね。

特に高知県は、新鮮で豊かな食材がたくさんあるから。

あえて手を加えることの意味が見いだせず、

すごく迷走した時期もあったな。迷ってばかりです。(笑)

 

― 梢さんの中で暫定的な答えはあるんですか。

 

まだまだね、悩み中やね。

料理において、シンプルに美味しさを引き出すような

引き算が1番いいと思うけども、

また足し算をしてしまう自分がいる。

そこの塩梅が難しいところです。まだ答えは出ていません。

​美味しさのゴールから見えるもの

― お弁当を作る時に、「キマった!」っていう味はあるんですか?

 

一品一品がすごく美味しいのも大事だけど、全部食べ終わった時に、

どういう気分でお弁当の蓋を閉められるかが一番大事かなって思う。

お弁当を彩るお料理は、味つけが薄いもの、

濃いもの、それぞれあっていいと思ってるの。

素材の美味しさを生かしたほうが良いものもあるしね。

 

― お弁当って仕事とか学校とか出先で食べられることが多い。

  tsumugiでは、春のお花見に行くときに購入するお客さんも

  多いそうですね。そのあとの活動が見据えられた食事だからこそ

   「読後感」みたいなものって大事ですよね。

例えば、金柑のマリネがなくて、別のものに替えると、

それによって、他とのバランスが崩れてしまうことがあるのよね。

作ってる時から、弁当箱の中にイメージする絵があって、

全部食べ終わった時の感情もなんとなく頭のどこかに置いている。

 

― 一つのお弁当の中でも緩急があるから、

  味わいに集中できるんじゃないかと感じます。

  お弁当に添えられたお品書きも、先の細い箸の細さも相まって、

  味の探訪に心地よく誘われてしまうんですよね。

わかりやすい美味しさって探さなくてもわかる気もするよね。

それもそれでいいけど。

もちろん、素材そのまま食べる美味しさも

あるし、色んな「美味しい」があっていいと思う。

 

― ファストフードのハンバーガーは迎えに行くどころか、

  もう襲われそうになる。

  迎えに行く体力がない時には、すごく美味しく感じるんですよね。

​同じことの繰り返しに使命を背負う

― 「冷めて美味しいお弁当」を作り続ける、これって自ら、

  自由を制限してますよね。

 

そうね。お弁当を作り続けて、強く感じるのは、

あったかいお料理のありがたさ。

卵焼きを焼きながら、コロッケを揚げながら、

「揚げたての方が絶対もっと美味しいのに」って毎日思ってる。

思いながらも、お弁当を作る(笑)

あったかいありがたさを身に染みて感じながらも、

冷めても美味しくなるような味の付け方とか、

調理の仕方っていうのがやっぱりあって、

それを常に研究している感じ。

― そのミクロな世界であのお弁当は生みだされるんですね。

 

弁当作りの不自由さっていう点で振り返ると、

tsumugiを始めて2年目とか3年目ぐらいの時、

同じものを作り続けることが大変だったな。

私は、本当は飽き性で、続けるのが苦手なんです。

だけど、季節ごとに出てくる旬の食材って日々そんなに変わらんのよ。春だったらこの野菜、夏のお魚はこれ、とかって。

大体同じものが巡ってくる。だから、違う料理を作りたくても、

結局似たような感じになってしまう。

冷めても美味しいかとか、水分は出たらいかんとか、

そういう条件もあるので。

「また同じようなものを作ってしまった」って。

自分の引き出しの少なさがもどかしく、

鬱々とした時期を何年か、繰り返したんです。

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― お弁当っていう制限を取ったら、

  もっと色んなバリエーションを作れるじゃないですか。

  そこまでしても、お弁当のスタイルを貫くんだっていう

  覚悟をすごい感じます。

 

その頃、お客さまに

「去年の春もこれあったけど、今年の春もまた食べれるのが嬉しい」

「これを食べてこの季節が来たのを感じる」

って言ってもらえて。救われたんです。

だから、このお弁当のスタイルで今のわたしに出来ることに

精一杯向き合い、やり抜こうと思っています。

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料理が媒介するもの

なぜ、料理をするのか。

私は、その答えに到底たどり着かないと思う。

それでも確かなのは、梢さんが料理をつくるから

tsumugiと繋がれているという事実。

そこで媒介されるのは、「美味しさ」とお金だけではない。

 

tsumugiのお弁当を口に運ぶ時、私が食べているのは、

そこに漂う凛々しさ、

端正なしつらえによる「自分が大切にされている感」、

細部に宿る優しさの気配、

梢さんの人生、お弁当を作り続ける覚悟、

「なぜ人は料理するのか」という問いそのもの。

それらは、食材をそのまま食べていても身体に

取り込めなかったものたちだ。

 

合理的ではないもの、説明のつかないものに、

その人らしさや文化が宿るのかもしれない。

 

高知の郷土料理であるイタドリだってそうだ。

イタドリがもつカロリーの低さ(28kcal / 100g)を考えると、

生命維持のためだけに食べられてきたと考えるには

あまりにも非合理的だ。

それなのに、愛されている。

イタドリの料理が媒介するものを、

見逃すことなく探訪を続けていたい。

​おわり

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